昭和40年2月10日  月次祭



  本日は、親教会の月次祭でございました。午後から【      】方が一緒に、参拝のお蔭頂きました。今日、久し振りで長男が親先生の前講を、本当云うたら10分余りでしたけれども務めさせて頂きました。それで私、聞かせて頂きながら有難いなと、こうまあ、思わせて頂いたのでございます。こう云う事を申しておりました。ね、お育てを頂くと云う事、育つと云う事、ね。
 親が子のことを切実に育ちます事を、しかもより良く育つ事を願わん親はございませんように、天地の親神様も又、私共氏子の上の事をどうぞ素直に立派に育ってくれる事、信心をしてお蔭を頂いてくれる事、幸せにならして頂く事を祈っておいででございます。ま、こう云うような事でございまして、つきましては、やはりお育てを頂くと云う事、育つと云う事には何と云うても環境が一番大事でございます。
  家庭の中に、例えば両親が有難いことだなぁ、有難い事ですよと心の中から、そうして有難い日々を過ごさせて頂いておる、そう云う雰囲気が大事なのでございますね、そう云う雰囲気の中に、有難い子供が育たんなら育たん方がおかしいのである。もし育てないならば、私共の云うておる有難いとか、そう云う環境とか雰囲気と云うのは、嘘の雰囲気である事を、お互いが悟らなければならないと云うことを申しております。
  只今から親先生の御教話を頂きますが、いわばお育てを頂くのでございます。ね、どうぞ皆さんの信心がより良く育つ為に、心の量として心の糧(かて)としてお蔭蒙ってお帰りになりますように、ま、お互いお蔭を頂きますこと、言うて話を聞いて頂いておりました。皆さん、私、そのことだけで、今日熊谷さん、関さんたちも一緒でございました。若先生からの若先生のあの話だけでお蔭頂きましたちゅうて、それでも一生懸命頂きよるからじゃないでしょうかね。
 先生が、どうぞ【      】祈っておる。そう云う、祈って頂くと云う事が大事じゃないでしょうか。なら、親先生のお話は、大変有難いお話っで長々となさいましたけれども【        】眠ってしまう。もう相済まん事だと思う。一生懸命頂く気がないからなんですね。ここで皆さん、秋永先生のお話がお蔭とか、私の話はあんまりお蔭じゃない(笑)そんなもんじゃないでしょうかね。
 けれども、やはり頂く【      】です。ね、どうぞ、今晩の御理解の中から私が頂かなければならん事を、私が頂かして頂かねばならない事を、頂かして頂きますようにと云う祈りをもってするならば。何処の事の【        】私が頂かねばならない御教えがひそんでおるやら、分からんのでございますから、ね、頂くと云うその頂く姿勢が第一大事じゃなかろうかと思います。
 同時に私、今日、その長男の一口の挨拶を、挨拶と云う【        】聞かせて頂きまして、有難いなぁいつも通うておるな、と云う事でございました。今朝の御祈念にお参り頂いた方は、その事を実感されたであろうと思いますけれども、今朝の御理解の中にそのような事でございました。昨日、テレビで何かドラマがあっておりました。何か分かりません。その台詞の一節そこだけ聞いておりました。若い娘さん達二人こう手を突っ込んで話をしております。
 一人の娘さんが片一方に「もう、貴方は本当に幸せな人ね。貴方のようにずばりずばりと、その自分の思うような事が言えて、そして自分の思うような事がさっさと出来ていかれる。本当に羨ましいわ」と云うような台詞でした。世間には、そう云う人がございますですね。本当に自分の思う事をそのままずばりと言ってぬけれる人。本当に気持ちがよかろうごとある。この商売させて頂きよったらいけない。これはいかんと、さっと見切りをつけて次の商売に切り替えていけれるような人があります。
  商売だけのことじゃありません。一事が万事にそうなんです。ね、ところが信心を頂いておりますとです、言いたい事もよう言わず、したい事もようせず、慎しみに慎ませてもらい、言いたい事も場合によっては泣く泣くでも、辛抱しながらじっと金光様金光様でこらえておらせて頂くようなあり方、その中に、ね、言わんで済んで良かった、ああせんで良かった、ああやらこうやら思うておったり言うたりしておったら。
 現在のおかげはとても頂けなかっただろうと云うような、夢にも思わなかったようなおかげが進展してくる。そう云うおかげを頂いていく。それを、私共の先輩であり先代は、「信心辛抱さえしておれば、物事整わん事はなし」とも教えられた。「馬鹿とあほうで道を開け」とも教えておられる。「こりを積ますな、こりを積むな、身を慎しめ」とも教えておられるのだと云う事。
  久留米の初代、久留米の石橋先生が、善導寺の荒巻弓次郎先生が、福岡の吉木栄蔵先生が、そう云うような御教えに取り組まれて、そう云う御教えをかけ守りのようにしてあのお蔭を頂き抜かれたのでございます。夢にも思わなかった、ね、言いたい事が一杯ある。ここでこう言うたら気持ちがすっきりしよう、いやひょっとすりゃその事が向こうに合点してもらえるかも分からん、いやしてもらえるだろう。けれども、もう次には合点してもらえない問題が起きておるとするならば、これは同じ事。
  言いたい事もよう言わず、したい事もようせず、それでいて、ね、私がこの世で一番の幸せ者じゃなかろうかと云うようなお蔭を頂かしてもらう。私がこの世で一人貧乏くじを引いておると云うようなところを、神様にすがらせてもらいお蔭を頂いていく。ね、そう云う中に、どう云うような道順をもって、私共の心が信心が、続いていくだろうか。又して行かなければならないだろうと云う事なのです。
  只今、お祭りを奉仕する前に、先生方、二階でそろいました。竹内先生が、「先生、この自分に厳しくあると云う事は、どんなもんでしょうか」なるほど信心させて頂くものは、ほんとに自分に厳しく、言いたい事でもよう言わず、したい事もようせず、そう言う時なんかいよいよ自分の心を深く反省する。言うちゃぁならん。いや言う資格はないのだ。自分にいよいよ、自分の心に鞭(むち)を当てましたり、自分の心を反省させてま、頂くのでございます。
  私は申しました。「先生、どんなもんでしょうかね。成程、私共もやはり自分に厳しくするのでございますけれども、なぜ厳しくしなければならないかと云うとです、ね、あまりにも当り前の事が、当然の事が、信心させて頂いておるなら、も、当り前の事が当り前として出来ていないからではないでしょうか。ね、お道の信心の生命とも言われる、実意丁寧、真心とか、真とか、信心させて頂けば、こうする事が本当だと云う事が分かっておりながら、その本当な事もようせず、よう守らずおるところに自分に厳しく当たらなければならんのじゃなかろうか」と、何にもない。
  昨夜、久保山先生ところの年に一回の謝恩祭が、もう本当に有難い雰囲気の中に、お道の同志の方達がま、50名位集まって、まぁ賑やかにお祭りが出来ました。その中に、私が御神前に出らして頂きましたら、一番に頂きます事が、『もう、その私はまだ富士山を見た事がないから、(笑)ま絵やら、見るだけの事ですけれども、もう見事な富士山、その富士山をバックにです、一本の大きな梅の木があるんです。
 八分咲きぐらいに咲いておるような感じなのです。写真で、そこへ、もうとてつもない大きな鴬(うぐいす)がとまっておる。』と云う御心眼だった。それで私が、昨日、あの繁雄さんが、【      】三人で送って参りましたから、それで私が「御理解で、あの富士山をバックに梅の花があったちゅたのは、あれは梅じゃなかったよ。実は、ようと見ると、梅のごとして梅じゃない。
 それは写真のようなふうで梅の花のように見えたけど、あれはよくよく見ると、あれは梅の木のような柿の木じゃった。しかも花のように見えたのは柿の実だった。ま、ここんところをいっちょ、繁雄さん、分からしてもらわにゃいけんよ。ちゅうて。今日又お広前で「先生、あの昨日の柿の木ちゅうことはどういうことでしょうか」ち。「どう云う事と思うか、こりゃもうあんた方のめぐりじゃない、こりゃ誰しもがもっておる、云うならばめぐりの実のようなもんじゃ。
 お互いそのめぐりの為に難儀をしておるのじゃ。あれが梅の実であったら素晴らしんだったけれども、柿の実だ。富士山をバックに梅の花が咲いておるかのように見えるけれども、梅の花でなく久保山先生の信心は、ここではもう梅の花の信心の手本のように。ね、けれども、何処までも目指すところは、本当の梅の木であり、ね、お蔭を頂きたいのは、とてつもない程の大きな鴬(うぐいす)が来て、ホ-ホケキョとさえずるそれを願っておるのである。
  日本全土、何処へでもないけれども、まぁ云うなら日本全土にです、そのさえずりが聞こえ響き渡るようなお蔭を頂かなければならん。それは、私共が真の信心をさせて頂いて、その真の信心がです、いよいよお蔭を頂かせてもろうてお蔭を現していくと云う事は、神様を現していくと云う事なんだ。お互いがもっておる難儀の元であるその柿の実をです、信心させて頂く者は熟する迄待たない。ね。
 それを例えば、まぁ渋いうちにちぎらしてもろうて皮をむいたり、いや、皮をむいたりではない、その事を願わして頂いておると、神様がちぎらなければならないように、それをむかなければならないように、それを神様がぶら下げて下さるかのように、いわばあの渋が抜けてゆくようなお蔭を頂かしてもらう。してあの、ひ柿ともなり干柿ともなって、それがいついつ迄もおいて悪くならないようなお蔭を頂かせて、それをお徳     という、と云うように説明する。
  皆さんが今、信心をさせて頂いて、難儀を感じておられるならばです、今こそ皮をむかれておる時であろうか、今こそぶら下げられておる時であろうか、今こそ果たして渋が抜けておるかどうかと云う事をです、自分の心にいつも感じていかなければならない。その渋の抜け具合が、いわば信心が【      】であり、育ってあるのであると云う事になります。私、今朝方お夢を頂いたんです。いやその、まぁ面白いお夢でした。
 『秋永先生が、お国替えしたという。お国替えと云うても100年か、200年ぐらいの後でしょうね。もう本当に貫禄のある、霊様です。ちょうど、あの天満宮様のような天満宮様ですね。天神様がお祭りしてある。もう二日市の、太宰府の境内のような中には、もう、うっそうと大きな楠がある。しこってお、その境内、じゃない、その道側方からです、もうそれこそ、これから一番向こう迄ぐらいの、大きな梯子がずっとその天に向かって出来ておる。
 それを、道側の方から、梯子からこんなふうにして登るならば、こっちの道側の方から眺めて、まぁ秋永先生の霊様が言いござる。何人かの人達に、「ここの先代の時にはね、皆んなずいぶん修行さしてもろうて、信心さしてもろうて神格を受けた人達もずいぶんあった。あの梯子段はよう登ったもんじゃ。見てご覧あの梯子段の一段一段が一尺ぐらいある。厚さがしかも見てごらん、あれが楠で作ってあるから虫ひとつついておるまいが、とこかろがこの頃の人達は、これを登ろうともしない。
 ここの下を通っても上をこう覗いても見ない。惜しい事じゃ』と霊様が言うてなさるとこでした。そして例えば本当にそれが例えば京都辺りにある、お寺さんやらお宮さん辺りがその見物のそれにしかならない様に、その時分に残っておった例えばそのお宮、いろんな彫刻とか、いろんな仏像とか云うのがです、それは芸術的な鑑賞用的だけにしかならない様に、様な事になってはすまない」と、云う様な訳だったんです。
  次に、『私、居酒屋さんをしておる。もうそれも何か映画なんかでも見るように、もうお爺さんで、もうよぼよぼしたそのお爺さんがそれが私なんです。その居酒屋のその大将らしい。久富先生がここの店の番頭さんらしい。酒の集金に行かっしゃったごたあるふうじゃ。ね、ところがその集金に行った所が、向こうから反対に逆因縁をつけられてからです、追いかけられて来てござる。もうそれこそ這這(ほうほう)の体(てい)で逃げ帰って来てござるところを頂いた。
  息子たちが何人もおった。それがもう立派に育った。ね、酒屋さんの事でございますから、酒を飲むだろう、力もでけた、ところが、その力をその酒を、そのいろんな酒がです、ね、その力がです、兄弟争いをするような事に行使しておる。親父の酒屋は、踏み倒してしまわんばかりに飲んでおる。 そしたら下の、その息子がまた帰ってきよる。それがはっきり、嘉朗さんです。
 それがもう今あんなにまだ痩せておりますが、こう肥えてですね、子供なのに大きゅうてです、そして総絞りの帯をぱっとこう締めてです、そからもう、そったような雪駄を履いて、どこから見ても何処かの若親分と云ったような感じ。そして私に言う事、「親父、心配するな。俺がおるじゃないか。あれ達が今度帰って来たら、ね、俺が行ってはじき廻しちゃるから心配すんな」そう、その私に嘉朗さんが云う訳なんです。
 「そりゃどうも有難う」けれども嘉朗さんの手にはこんな大きな、その角打ちの金の指輪をはめているんですね。昔の遊びなんかよくはめていました。それを見てから、この、こげんとであの息子達ばくらわすなならば、息子達の頭が割れだんせんじゃろうかというて私が心配しよるとこじゃった。』ね、皆さん達がですね、ここは云うならば酒屋、居酒屋さんと同じ事ね。ね。
 居酒屋さんの息子であったり、娘であったり、飲むなら酒屋さんじゃもんじゃから、ね、いわゆる、有難喜、勿体な喜と、ところがお酒を飲むようになって、酔狂がでるようになった。 育っていくとだんだん神様を信じる力もだんだん出来てきたけれども、その力が例えて言うならば、福岡になり、甘木になり、久留米になったと、まぁ仮定してごらんなさ。ね、大阪辺りの教会に致しましてもいいです。
  そう云うような兄弟達が、そこにもここにも、いわば沢山の信者をようして助かっていくようになってきたけれども、その教会とその教会が云うならば、血で血を洗うような事をしたり、言うたり思うたりしておるような事はなかろうかと云う事よ。宗教家でございます。信心でございます。と言いながら、その内面に入ったらです、いがみ合い、ね、牽制(けんせい)し合い、ね。少しお参りがあるといったら、もう、すぐ羨ましがって、それを心の中に様々なあの手この手を使うてでも、それを疎外(そがい)するような事がないだろうか。
 私は、ここで例えばこの居酒屋の中に生まれた、いわば息子やら娘やらが、ね、お神酒も頂き習うた、力も出来たがその力をね、そう云うような事に将来行使するような事であったらどのような事になるのだろうか、私はここに教団人全体がここに目覚めなければいけないのだと。ね、 その力をです、その有難喜、勿体な喜、恐れ多喜の酒をです、三喜をです、何処に行使させてもらうか。
  昨日の新聞なんかを見ますと、一昨日ですかアメリカの飛行機が爆撃をやっております。隣の中国が言うております「あれはもう俺のところを爆撃したのも同じだ。」と、息きまいております。そう云う世界の大きな政力二つがしのぎを削りおうております。そう云うような事で、世界平和を維持しよう、保とうとしております。これではいけません。全教一新して、全教が一家になって、宗教人全部が立ち上がって、言いたい事もよう言わず、したい事もようせんのだけれども。
 夢にも思わなかったようなお蔭が、お蔭に育っていかなければならないその為に、お互いがそこに焦点をおいての取り組みと云う事になり、力があるならば、有難喜、勿体な喜と云う余裕があるならば、そこに祈りをもっていくと云うような、育ち方にならなければいけないのではなかろうかと、私は思わせて頂いておる。断片的でございましたけれども、その一つ、お夢の中にはです、やはり、その丁度、門前橋のようなところをです、ある二、三の人達が腕を組んでかっぽしております。
 足を揃えて歩いております。それを見ておる人達が「やぁ足並みが揃うて素晴らしいなぁ」と言うておった。足並みが揃ろえてあると云う事はこんなに窮屈な事はありません。前へ進めで進む。言う間だけなら足並み揃えも出来ますけれども、いつもかつも足並み揃えと云う事はいかにも良いようであって、それは大変不自然であり難しい事なのであると。その人の力、その人の信心に応じてです、足並みは乱れておってもよいけれどもです、焦点は、目指す所は一つでなからなければならないと云う事である。
 小さく云うならば、ね、この10月の記念祭が15年の記念祭が奉仕される事になっております。この子供達がこの会員全部がうって一丸になってと云う事は、足並みを揃えてと云う意味ではなくて、それぞれの信心それぞれの立場に於て、焦点をそこに於て進ませて頂くと云う事が、私本当な事である。ね、皆さんどうでしょうか、云うてある事を真剣にそこに焦点を於て、祈りをそこに集めておる人達が幾人あるだろうか。
  焦点が違う。自分がおかげ頂きゃいい。自分の一家がまずお蔭頂きゃいい。おかげを頂いたらもうこれで云う事はなか、こんな幸せな事はないと云うような、もし幸せであったり、お蔭であったりするならば、神を現すと云う事にはなってこないと云う事。いまこそ世界真の平和を祈らずしていつ祈るか。分かっておっても切実にそれが祈られないとするならばです、ね、何処にその祈られない元があるかと云うとです。
 今日私は秋永先生に申しましたように、ね、そこんところにです、例えば修行させてもろうて、ね、自分に厳しくならせてもろうて、その事に焦点を於て祈っていくと云った意味合いではなくて、当然お道の信心をさせて頂いておるならば、お道の教えを頂いておるならば、当然当り前、このくらいの事は身に付いておらなければならないと云う事を、まず身に付けていくと云う事である。
  まず一つ一つの事柄をです、実意をもって丁寧に、私共は行じていくこと以外にはない。ね、先日【    】テレビで、雪の日の円朝と云う落語家ですかね、噺家なんですね。なかなかのもう後にも先にも出まいと云うように名人だったらしいですね。その名人円朝の山岡鉄舟との出会いの場と云う一幕を、実にしみじみとした雰囲気の中にお芝居をしております。いろんな知名な人、有名な人達のところにお座敷に呼ばれます。
 もう即興的にその題を与えますと、その題によってそのお話を読みます。もうそれが皆んなの人気の的であった。どうしてああ云う事がまぁ云うなら神乍らにすらすら出るじゃろうかと云うようなお話をすわけですね。それを陰から聞いておった鉄舟がです、成程、名人だと感心するのですけれども、「これはただ器用なだけだと。私が一つ題を出そう。一つ私の題で話してみろと。誰でも知っている話ぞ。俺達子供の時から何べん何十ぺんこの話を聞いてきたか分からんけれども面白い話であった。
  昔々のあの桃太郎さんの話を、私は爺じから毎日のようにせがんで聞いた。どうぞその桃太郎さんの話を円朝にしろ。」とこう云う訳。びっくり致しますですね。けれども題を出されたものですから、そのそれを始めます。ね、雪見をやっておるものですから開けっ放しの窓、寒いその座敷でです、ね、羽織を脱ぎ出します。生汗が流れてまいります。繰り返し何べんも何べんも昔々とやり出しますけども、どうしてもその話が出来ません。とうとう黙ってしまいます。ね、
 そこを「お前はこのくらいな話がでけんのかと。子供でもする話ぞと、しかも誰でも知っておる話ぞと、お前も何回となしに聞いた話であろうが、それがどうしてでけんのか。」もう一言もありません。もう脂汗がダラダラ出るばっかりです。ね、そこを鉄舟が申します。「御前の話は口でしているんだ。ね、お前は心でしゃべれんのか。」と、まぁ満座の中でそう云うふうに言われました。
 そこをすごすごと帰って行くところで幕と云うお芝居でした。私、その、を見せて頂きながら思うたんですね、本当はそうだなぁと、私その日丁度午前中私ここを下がったところで150名お取次させてもろうた。ね、そして4時からのそれを見せて頂いてから、ほんに私は午前中は150名もお取次させて頂いたと思うて、云うなら鼻高々とその云う気持ちが、心の中にあったけれども、果たして150名の中に一人でも二人でも本当にお蔭を頂いて有難かったと言うた人があっただろうかと。
  とくとくとして御理解を説いたけれども、果たしてどれだけ有難いものを相手に与える事が出来ただろうかと思うたら、それこそ円朝じゃないけれども、これから脂汗が流れるような思いが致しました。ね、そしたら中に一人、伊万里から池田さんと云う方がお参りして見えられました。あの障子を開けて入って見えて、ここへお座りした途端に涙をポロポロ流して「お引き寄せ頂きまして有難うございました。
 親先生に喜んで頂く事何にも出来ませんのに、私のような無信心者がここへ着きさえすればこんなに有難くならしてもらいます。あの障子を開けてこちらを見せて頂いたら、親先生があそこで一生懸命奉仕をして下さるその姿を見ただけで、もう椛目に参った、お蔭を頂いたと云う気が致します。親先生に喜んで頂く事は、これからさきも出来ませんのにこのようなお蔭を頂いて有難うございます。」と云うて、お礼お届けのあった、そのことを思うて、ははぁ私が名人円朝。
  いわば名人先生じゃなくてもです、ただ私は一生懸命にここで私は奉仕をさせて頂いておれば、その一生懸命のものならば必ず誰々さんにでも与える物が何かがあるのだなぁと云う事を悟らせてもらった。私の心の中に有難いな~と云うものがなくてもです、一生懸命の神様に打ち向かってのいわばその姿がです、場合には尊くも有難くも皆んなに写るようなお蔭を頂けば、もうその人はお蔭を頂いておるのであり助かっておるのであると云う事。ね、
  その後の話に、私はその円朝の話を又聞かせて頂いたんですけれども、それからと言う円朝はです、もう来る日も来る日も、寝ても覚めても又そんな話をしたと云う事です。(笑)素晴らしいですね。やっぱり名人と云われる人ですから素晴らしい。晩年にはです、どう云う話を求められましても、やはり昔々のいわば桃太郎さんの話だけしかしなかったと云う事でございます。でもその桃太郎さんの話がです、何ともかんとも云えん程の味合いのある話であったと云う事でございます。ね、
  私共が、段々一生懸命の修行から少しずつでも心の中に有難いと云うものが育って参りまして、その有難いと云うその育つ心が、ね、いよいよそれが力ともなり、それが末々です兄弟喧嘩の元になるような事ではなく、相手を牽制し合うような、それではなく、問題はお広前、教祖の神様が教えておられますように、「この方は、人が助かる事さえ出来れば良いのである。」と云うところに焦点を於て、ね、人が助かる事でさえあれば良いのである。
  そこのところを頂かして頂く為にです、お道の信心をさして頂いておるなら当り前、当然そこのところを分かっておかなければならないと云うところを、いよいよ分からしてもろうて、限りない有難いと言うもの、有難いを自分の心の中に積み上げていかなければならないと云う事でございます。ね、しかもその有難いと云うのがです、ね、千も万も、もう言葉には現せない程の有難さ、四神様も言うておられます。「真に有難いと云うのは、ね、言葉にも態度にも現されん程のものだ。」と、おっしゃっておられます。
  もう10年も前だったでしょうか、このご信者さん団体で御本部参拝させて頂きました時に、阿部野の教会長先生が千人からの信者を引き連れて、お広前一杯にお礼参拝があっとりました。私共は3・40人ですから隅の方でそのお届けを待っとりました。ここでお届けされるなら、私共は秋永先生とあの辺に座っておった、何人かの先生達をお供にして、これだけ沢山のお初穂をうやうやしく金光様の前に進み出られました。
 あそこへお供えをなさいました。「金光様お蔭を頂きまして有難うございます。」たったそれだけだった。「金光様お蔭頂きました。」その有難うございますの素晴らしさ、素晴らしさとても、何処の千両役者でもいや出来まいと云うような、有難いと云う一言であった。私、その時参り合わせた人達に申しました。「ほら、今のを聞いたね。ね、あの有難いが、この千百人て集まって来ておる人達が助かっておる原動力になっておるのぞ。」と、私申しました。
  そう云う限りのない有難いと云うものを追求していく為に、愈々私を自分に厳しゅうすると云うような事ではなくて、もう日々足元からこうする事が本当だ、こうする事がもう当り前だ。淡々として教えておられるその淡々とした事をです、日々繰り返させて頂くと云う事が、とりも直さずお道の信心を行じ、お道の信心を行じておるのであり、信奉者としての有難いと云う事ではなかろうかと云う事を感じるのでございます。
 私共の心がです、有難喜勿体無喜が育って沢山の方が助かるようになった。ところが、ここにもやっぱり助かるようになったものがあった。久留米が出来た。甘木が出来た。玉水さんが出来た。泉尾が出来た。と云うようです、大阪辺りで云うなら。ところがです、ね、そこの中に、なんとはなしにお互いが牽制し合うと云う、いわばその現在の世界の二大政力が鎬(しのぎ)を削っておるようにです。
 もう醜い信心の世界にそう云う事があってはならないような事が、日々繰り返されておると云うような感じがするのです。私、今朝お夢の中に頂いたのも、そう云うような事になってはならんぞと、私共が霊の世界に入らせて頂いて、秋永先生が、いわば100年か200年前の事を実感しながら昔はこげんじゃなかったが、この梯子を皆んなが登らせて頂いたもんじゃが、今頃の者はこれを見物する。
 いや、しようとする者さえなくなったと云うような事になつたんでは、大変でしょう。それは信心が育っていないからなのです。本当な事に焦点を於てのお育てでなかったからなんです。ね、本当なところに焦点を於ての、ね、お蔭を頂かせてもらい、真実、中味のある世界真の平和が祈れれるような内容、そう云うような有難さと云ったようなものが段々身についてくる事を楽しみに信心しなければならんのでございます。
   おかげ頂きました。